見逃すべきではない映画、かもしれない

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映画『AVATAR』を見た。もともとあまり見る気はなかったのだが、ネットでの評判がいいのと、この映画を見た知り合いがえらく誉めるので、見てみた。
予想よりだいぶ良かった。傑作と言って問題なかろう。

3D映像。文字通り三次元。これ以外に表現のしようがない。
だが見る者にとっては、単に立体的に見えるというだけではない。本当は平面のスクリーンしかない場所に、いま見ている物・人が「ある」かのように見えるということだ。この「ある」ように見えるということは、SFやファンタジーのように実際には無いものを見せる映画では、非常に意味が大きい。
この三次元効果の加わった『AVATAR』の映像は、驚異の映像と言っていい。映画の開始から5分間、僕は画面を唖然として見ていた。その間字幕をよく読まなかったため、話の流れを追うのにしばらく苦労した。
唖然としたのは、他の観客も同様だったと思う。始まるまであちこちで行われていたおしゃべりが、映画が始まったとたんぴったりと止まった。

だが……それでも、これだけの力をもった映像でも、しばらくすると慣れてくる。飽きてくる、と言ったら残酷だが、より正確だろう。30分もすれば、シーンが切り替わるたびに興奮していた心は、次第に落ち着きを取り戻してくる。

しかし、3D映像の持つ意味は、それだけではなかった。いやむしろ、もう一つの効果の方がはるかに重要な意味をもっていた、と僕は思う。

映像のCGっぽさが無い。

ここでいう「CGっぽさ」とは、もちろん良い意味ではない。CG独特の、質感のない映像。パソコンのモニタのドットが見えるかのような──個人的にはこれを「粉っぽさ」と呼んでいるのだが──映像。画面上でどんなにものすごい事態が描かれていても、「しょせんCGだから」と吐息がもれるような、そういう映像のことだ。
しかし『AVATAR』では、それがない。CGと実写の間の違和感がない。
これが、この映画の成功の最大の要因である。

このことが3D効果によってもたらされるものなのかどうか、僕は知らない。だがその可能性は高い。なぜなら、『AVATAR』の映像をテレビやネットの動画で見ると、その印象は全く違うからだ。テレビで見る『AVATAR』の予告は、まさにCG。一瞬にしてCGと分かる、僕が最も嫌いなタイプの映像だ。その激しい「CGっぽさ」は、CGというよりもアニメーションと言う方がふさわしい。僕がこの映画をあまり見る気がしなかったのは、そのせいだ。
上の画像を見ても分かる。このナビ族(地球人にとっての異星人)の映像はのっぺりしていてプラスチックのようで、CG以外のなにものでもない。
その同じ映像を映画館で3Dメガネをつけて見ると違って見える。なぜそうなるのか、僕には理屈は分からない。

もしジェームズ・キャメロンがCGの弱点を克服するために3Dという手を打ったのだとしたら、その功績は非常に大きい。宣伝文句は確か「驚異の映像革命」だったか。確かに革命だ。だがその内容は3D映像ではなく、CGの弱点の克服だった。
文句をつけるとすれば、3D眼鏡はずっとつけてると頭をしめつけて痛い。それと、普通の映像を見るよりは目が疲れやすいようだ。他の手段があれば、それに越したことはない。

この「映像革命」が真の革命となり、映画を変えるのか。これからしばらく、映画界はこのことを一つの軸として動いていくだろう。非常に興味深い。

CGについて書くだけで長くなった。ここ数年いろんな映画を見るたびに、CGのもつ限界について懸念していた。これをどう克服するかが、映画界の一大ミッションだと思い続けていた。その懸念への回答の一つが『AVATAR』で示された。

さて、長々書いてきたけれども、上記の事は実は良い映画であるための前提条件にすぎない。つまりいくらCGっぽさが無くても、映像そのものの出来が悪かったり、ストーリーがつまらなかったりすれば良い映画にはならないわけである。
だがそれについては、まだ公開中なので一応書くのはやめておこう。この数年でも、最も面白く感じた映画の一つである。
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by sakichi_i | 2010-03-01 01:10 | その他 | Comments(0)


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