地震体験録:東京

今回の地震が東北と関東東北部で引き起こした惨状に比べれば、東京への被害は「軽微」とさえ言えるものであった(ただし現時点で、東京でも4人の方が亡くなったことが分かっている)。
それでもなお僕が経験した地震のなかでは、揺れの大きさとそれがもたらした困難の面で最も大きい。僕が広島という比較的地震の少ない場所で生まれ育ったから、という理由もある。これに匹敵・あるいは上回る自然災害に遭ったのは、床上浸水、大規模・長期間の停電を発生させた広島での2回の台風だけである。

3月11日(金)。
場所は新宿区の、繁華街ではなくオフィス街の地域。完全なオフィス街ではなく、ところどころ住宅もある。

●15時少し前
最初の揺れ。今まで一度も体験したことのないような激しさ。横揺れ。長い。「机の下に隠れる」という地震時対策の一番最初に書いてあるような事を、生まれて初めてやった。本棚の上の棚の物が、バラバラと落ちる。この時、この地震の震源が東北沖であろうとは夢にも思わない。「東京壊滅」の光景が頭をよぎる。
揺れがいったん収まる。社内に怪我人なし。バランスの悪い置き方をしていたものが無かったのか、オフィス家具も倒れず。あれだけの地震にしては、被害は軽かった。

●15時ごろ
再び揺れ始める。余震だ。決して小さくはない。そしてまた、長い。普段なら、これで充分「大きな地震」と報道するレベル。
ラジオが緊急事態放送に切り替わる。

救急車、消防車のサイレンが窓の外に聞こえ始める。怪我人が出たこと、そして火事が起こったことを知る。自分の住処で火事は起こっていないか、この時からそれが最大の不安となる。

●15時~18時
15分おきぐらいに、断続的に余震が続く。どれも決して小さくはない。後で気象庁の情報を見たら、2~3分おきに発生している時間帯もある。揺れが長いため、そういう時間帯は一つの余震と認識したと思う。

携帯電話はつながらない。固定電話は、相手によってはつながるようだが、ほとんど使えない。PCのメールはOK。FAXも使える。停電もしない。要するに電話が使えないだけなので、業務は続行。電話が使えないだけでも一苦労だったが、急ぎの仕事を抱えていたのでやらざるをえない。

テレビ・ラジオで各地の被害状況を次々と報道し始める。東北の惨状には、絶句。それを聞いて、東京はこれくらいで済んだ、という安堵が無かったかと言ったら嘘になる。

●19時
JRはこの日の運行を停止、地下鉄も復旧の予定が立たず。いずれにしても、仕事がまだ終わっていないから帰れない。運行再開を祈りつつ、業務続行。
まだ時々、揺れている。

●21時
業務終了。電車は動いていない。歩いて帰るか、会社に泊まって次の日帰るか考えたが、次の日も電車が復旧しないという最悪の場合を考え、歩いて帰ることにする。会社を出発。
幹線道路に入ると、同じように徒歩で帰宅しているらしき人の集団に会った。この人たちもか……と最初は思ったが、集団にぶつかったのはたまたまではなかった。その前後の何km、いやおそらく十数kmにわたり、同じ方向に向かう人の行列が延々とできていたのである。
最初のルートは山の手線内。だから人が多いのだろうと思っていた。1時間ほど歩いて山手線外に出る。行列の人数は減らない。2~3mおき、歩きにくくはない程度にずっと人が連なっている。
歩行距離約13km。3時間半。途中で休んだら気力が無くなると思い、ほとんど休まなかった。うちに着いたのは深夜0時半。
行列は結局、山手線の駅から5~6駅も郊外へ離れた場所まで、ほとんど人数が減ることがなかった。もっと先まで歩いた人も、当然多くいただろう。
僕が会社を出たのは夜の9時。仕事が終わる5~6時に出発した人が、いちばん多かったはず。だから5~8時ぐらいの間まで、この行列はもっと過密だったはずである。
途中で寄ったコンビニでも、地元のコンビニでも、弁当・惣菜・パンは全て売り切れていた。

幸い、住処は火事で焼失していなかった。近所でも火事が発生した気配はない。部屋の中は散乱……というほどではなかった。本棚二つは倒れていなかった。本棚と壁をつないでいたのが良かったと思う。しかし上の棚のものがほとんど落ちていた。その際にCD4~5枚のプラスチックケースが破損。テレビが台から落ちていた。画面は無事。電源を入れると、まったく異常なく映った。これは非常に助かった。

テレビで見た、各地の燃え上がる街並みと、津波のエネルギーのすさまじさに驚愕。3時間半歩いたことで、愚痴を言っている場合ではない。
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by sakichi_i | 2011-03-12 14:02 | その他 | Comments(0)


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