司法にとって「精神鑑定」とは何

大仰なタイトルだが、大したことが書けるわけではない。

渋谷・妹バラバラ「殺人」懲役7年 多重人格で死体損壊は無罪 心神喪失を認定

妹を殺してバラバラにした彼は、「死体損壊」についてのみは無罪となった。「死体損壊時には心神喪失状態だった」とする精神鑑定結果を、裁判所が重視した。「責任能力がなかった」ということである。
殺人の方は有罪となったので、「無罪放免」という印象は無い。それにしても、精神鑑定結果によって罪が問われないという事があり得るというのは意外だし、少々ショッキングだ。
無罪になることはほとんどなくても、我々は重罪裁判で弁護団が「責任能力なし」を盾に被告を救おうとしているのをしょっちゅう目にする。実際に減刑になることもある。
このことについて、以下、司法・裁判の一素人が発する疑問である。
何が差別的表現になるのかよく知らないので、自分にとって分かりやすい言葉を使っている。
※いくつかの法律用語についてはWikipediaを参照

1.なぜ心神異常が無罪・減刑の理由になるか

「心神喪失」状態であったことを認められると、罪に問うことができない。その軽度の状態である「心神耗弱」であれば、責任を軽減される。※最終的な判断は鑑定医ではなく、裁判官がおこなう
そもそもこれが、わからん。異常と鑑定されたからといって、もたらした被害が変わるわけではない。
もし心神喪失の人間を罪に問うことができないなら、その状態に陥ったこと自体が犯罪ではないのか?

2.罪を軽減することは、鑑定結果と矛盾するのではないのか

百歩譲って、罪を軽減することまでは認めるとしよう。
それではそういう人間、精神医が「異常」と認めた人間を世の中に早く出してしまうことは、罪ではないのか。
単純に考えてみる。残忍な犯行をおこなった人間がいた。医者に診せたら、「頭がおかしくなっている」と言った。
むしろ「普通の」犯罪者よりも、危険ではないのか。
彼の罪を問うことができないなら、刑務所に行く必要はない。病院で治療をすべきだ。そして将来にわたって同じような状態に陥る可能性はない、と証明されるまで、拘束すべきである。

3.誰の責任なのか

本人の責任ではないなら、誰の責任なのか。
渋谷の事件の判決では、被告は「別人格に支配され心神喪失状態だった」とした。「別人格」とは、誰だ。別人か。そうではあるまい。それなら、その「別人」が起訴されるはずだ。「別人格」であるだけで、何のことはない。本人なのだ。
悪魔が憑依したのなら、話は別だ。悪魔を人間の法制度のもとで裁判にかけることはできまい。ただしその場合、エクソシストか祈祷師かなんかの鑑定書が必要になるだろう。

原因があり、結果がある。犯罪があり、責任者がある。無いことは、あり得ない。
人間が心神喪失状態になるには、原因がある。裁判所はその責任を、社会、被告の家族と周囲の人間にばくぜんと押しつけて、責任の所在を明確にしないのか。
これこそが、本当の意味での無責任ではないのか。

納得のいかない話である。
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by sakichi_i | 2008-05-30 19:17 | その他 | Comments(0)


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