カテゴリ:雑記( 79 )

トランプ就任も議会でひっくり返せないか?

イギリスのユーロ離脱が正しいのか間違っているのか、僕には分かりませんが……

議会の承認が必要な国民投票って
一体何なんすか(^_^;)


それなら最初から、国民投票の結果に拘束力があるような幻想を国民に持たせてはいかんでしょう。
もしひっくり返ったら、イギリス全国民いや全世界を巻き込んだ壮大なペテンですよこれは。

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by SAKICHI_I | 2017-01-25 01:01 | 雑記 | Comments(0)

読むのが苦役:有川浩『旅猫リポート』

世の中につまらん創作物は星の数ほどあるので、いちいち叩いても仕方ない。だがこの小説の場合、単に退屈なだけではなく読んでいてムカついた。

ラジオでDJが、この小説が非常に良かったと言っていた。それで読んでみた。売れた本なのかどうかは知らない。有川浩という小説家の本を読むのは初めて。後で調べると売れっ子作家の一人で、ドラマ化された作品も多いようだ。

まずは、ストーリーそのものがつまらない。主人公の「善人」エピソードをこれでもかとぎゅうぎゅうに詰め込み、その偽善臭が腐臭になるまで詰め込んだ後で最後は……となる。
陳腐。極めて陳腐。
「泣け泣け」という作者の意図がページの全面に塗られ、ギラギラと生臭い光を放っている。泣かせようという意図で書かれた物語で泣けないほど、白ける事はない。

もう一つは、ギャグがつまらない。だけでなく、これも作者の「さあ笑え」というドヤ顔が背後に大きく見えるのである。自信満々で繰り出したギャグが、ことごとく滑る。文章そのものに可愛げがない。

タイトルの通り、猫が登場する小説である。多分、猫や他の動物が好きだったり飼っていれば、僕よりははるかにこの小説に共感できるのだろう。僕自身は実家で犬を飼っていたり、小鳥を飼ったりした。猫は好きでも嫌いでもない。いずれにしてもこの小説が「分かる」という人の気持ちは分からないので、あまり考えても仕方がない。

猫小説といえば日本で最も名高い小説の一つ、漱石の『吾輩は猫である』がある。こっちの方は非常に好きなので、あまり猫が好きかどうかは小説の評価に関係ないような気もする。
先日ふと思い立ち、何年ぶりか何十年ぶりか分からないぐらい久しぶりにこの小説を読んだ。驚愕した。これほど一文一文に笑いが濃厚に凝縮されている文章は、現代も含めて他に無いのではないか。僕は読みながらたびたび、笑うよりも先にその文章の精巧さに感動した。
難癖をつけるなら、少々長すぎる。ストーリーに起伏がないので、後半は飽きてくる。『坊っちゃん』ぐらいの短さであれば、何の文句もなかったと思う。
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by SAKICHI_I | 2015-05-18 16:37 | 雑記 | Comments(0)

おめでとうございます

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今年のアカデミー賞で、『博士と彼女のセオリー』主演のエディ・レッドメインが主演男優賞を受賞した。
日本ではまだ公開されてないこの映画、僕はすでに見た。アメリカで見たわけでも、ネットで違法の動画を見たわけでもなく、試写会で見た。
見たのは、「たまたま」であった。会場に行くまでどんな映画を上映するか分からないという試写会だった。行ったら、上映されたのがこの映画だったというわけである。
まず予告編が流れる。それを見て僕は、ハズレだと思った。映画のタイプとしても、あまり好きではない。予告編を見た感想を問われたアンケートでは、「あまり期待できない。若者が不治の病に苦しむ姿を見たくない」と書いた。
見終わった後、僕はそう書いたことを猛烈に反省していた。障害者の気の毒な姿を映し、同情と涙を誘う安っぽい映画ではない。難病により極めて困難な状態に陥った博士が、なんと不屈の闘志にあふれ、希望に満ちていることか。
エディ・レッドメイン、まさに主演男優賞にふさわしい。
おめでとう、ではなく、ありがとう、と申し上げたい。
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by SAKICHI_I | 2015-03-16 12:51 | 雑記 | Comments(0)

ドリップコーヒーの問題点

コンビニコーヒーの勢いが止まらない。僕もご多分にもれずハマり、レギュラーコーヒーの美味しさを改めて知った。しばらくすると、少しでも安くあげたいという気持ちが発生し、今度はドリップコーヒーを飲むようになった。
そして今に至る。今のマイブームはドリップコーヒーである。

先日、MAXIMのドリップコーヒー「ちょっと贅沢な珈琲店」を買った。それまで買ったことのない商品だった。
飲むためにカップのふちにフィルターの足を引っかけようとして、がく然とした。足が短くて、届かない。僕の使っているカップはやや大きめなので、今までもこれに近いことはあった。初めての商品の時は、いつも少し不安だ。しかしこれほど、「ちょっと贅沢な珈琲店」ほど完全に届かないことは今までなかった。
皮肉なことにこの「ちょっと贅沢な珈琲店」、パッケージに「セットしやすさ評価No.1」と書いてあるのである。僕自身、それを見てこの商品を買ったという面がある。フィルターの足の出来が悪いと、セットするのに非常に苦労する。
確かに「ちょっと贅沢な珈琲店」の形状であれば、もしカップにはまりさえすればセットしやすいだろうとは思う。しかし届かないのだからどうしようもない。カップの脇に寄せてなんとかはめようとしてみたが、無理だった。

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 これが理想型






パッケージの裏表天地左右まで全部見てみた。「カップ直径○cm以上不可」とはどこにも書いていない。これはカップにセットできるかどうかの、最も重要な基準だ。記載すべきだ。
ちなみに僕が会社で使っているカップは直径10.5cm。とんでもなく大きいわけではない。

僕が今まで飲んだ中では、ファミリーマートのオリジナル商品がよくできている。4点でなく3点でフィルターを支える形式で、かなり大きなカップにも安定してセットすることができる。
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by SAKICHI_I | 2015-03-10 15:25 | 雑記 | Comments(0)

珍作

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CSの映画専門チャンネルで、ゴジラの特集をやっている。
名作の誉れ高い第一作を頂点にしてクオリティは低下の一途をたどり、1970年代ごろからは『東映まんがまつり』の一部としてドラえもんやみなしごハッチと同時上映されていた……ということは僕も知識としては知っていたり、途中からは映画館で見て知っていた。しかしゴジラシリーズ初期の作品を見たことがなかったので、この特集を楽しみにしていた。
とりあえず第一作から順に何本か見て、分かったことがある。クオリティはゆるやかな曲線を描いて下がるのではなく、すでに第2作で垂直落下をするごとく急激に下がっていた。

第2作「ゴジラの逆襲」
ゴジラは大阪湾に出現。ゴジラは光を異様に敵視し、追いかけるというので、自衛隊の航空機が光を発して誘導(イカ漁のようだ)。見事成功し、ゴジラは沖へと去る。ここで突然強盗犯と、それを追いかける警察が出現。ゴジラがすぐ近くに迫って街が危機に瀕しているという時に、悠長なものである。その強盗犯が車の運転を誤り、石油タンクに激突。大爆発を起こす。その爆発の光にゴジラが気づき、大阪へとUターン。そこへゴジラのライバルの怪獣、アンギラスが登場。二匹はとっくみあいの大げんかを始める。その間中自衛隊の戦車や戦闘機が二匹に砲弾を撃ち込みまくっているのだが、完全シカトして延々とケンカを続ける。長いケンカはゴジラの勝利で終了。ゴジラは悠々と、大阪の街を破壊し尽くして去る。
焼け野原になった街を見て政府か役所の大物らしき人物たちが「なあに、復興して見せますよ」「頼みますよ。ハッハッハッハ」と談笑するのだが、何がおかしいのかまったく分からない。
その後主人公たちは戦友と会って宴会をしたりして、極めて和やかに過ごす(以下略)

細かい指摘をするのは面倒なのでやめておくが、とにかく見ながらハァ?と100回ぐらいは思う珍作であった。ある意味興味深い作品であることは確かだと思う。

追記
後で調べたら、事情が分かった。ゴジラ6まで本多猪四郎という人が監督をしているのだが、このゴジラ2だけ監督が違っていた。全部はまだ見ていないが、確か第4作の「モスラ対ゴジラ」は傑作だった記憶がある。
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by SAKICHI_I | 2014-07-22 19:38 | 雑記 | Comments(0)

これでいいのか「サラダ」

最近、でもないが近年コンビニとかファミレスで、腑に落ちないことが多い。
「サラダ」という名の付くメニューに入っている野菜が、煮てある。揚げてある。肉が入っている。
野菜が少しでも入っていれば「サラダ」なのか。それなら、大根の入っている豚バラ煮込みも、ブリ大根も、肉じゃがも、おでんもサラダではないか。

納得がいかないので、wikiで調べてみた。
「野菜などに塩、酢などの調味料をふりかけるか、和えて盛りつけた料理の総称。生のままの野菜や、野菜を煮たものを冷ましてから盛り合わせ、ドレッシング等をかけて食べるものが一般的だが、野菜以外の材料を多く含む「卵サラダ」、「ツナサラダ」などもサラダと称される。」(一部省略)

というわけで、「生野菜」という縛りは全く無いらしい。野菜以外の物が入っていてもいい。
ここまでゆるい定義なら、無いも同然ではないのか。例えば「おかず」と言うのと大きな差はない。「セブンイレブンで、新作のおかずが発売されてた」。これではどんな商品なのか、さっぱり分からない。
wikiの文章から何とか共通項らしきものを見つけるとすれば、「冷ました野菜」ということか。これだけなのだろうか。だとすれば、冷めた肉じゃが、冷めたおでんも「サラダ」ということになるわけである。
僕が最近仰天したのは、「ステーキと香味野菜のサラダ」。名前の通り、フライパンで焼いたステーキに野菜が付け合わせてある。カロリーは516kcalある。もはや、野菜が主役ですらない。

「サラダ」という言葉の定義として何が正しいのかは知らないが、僕にとってサラダと言えば生野菜だ。そして日本でも、伝統的にそうあったと思う。
一度それで定着したのだから、それを崩すべきではない。でないと、「サラダ」と言った時にどういう料理なのか分からなくなってしまう。

なぜ、こうなってしまったか。僕は外食業界・食品業界の思惑だと思う。どんな料理でも、「サラダ」という名が付くだけでカロリーが低いと錯覚してしまう。あるいはカロリーが高いと分かっていても、「これはサラダだから」と自分を納得させてしまう。こういう効果を、特に女性に対して期待したのである。
居酒屋の膨大な量のサラダも、同じ効果を狙ったものだろう。チーズをまぶしてあるし、あんなもん生では食えないからドレッシングが大量に必要だし、総計どんだけのカロリーになるんじゃという話である(もっともこれは量だけの問題で、生野菜であることは伝統的なサラダなのだが)。

サラダにもはや、低カロリーの幻想は通用しない。薄々気づいている消費者は、そろそろ現実を認めるべきだ。
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by SAKICHI_I | 2014-01-10 11:35 | 雑記 | Comments(0)

囲い込んでも、美味ければ人が来るだろ

Yahoo!の記事
東京チカラめしブームに陰り?

東京チカラめしの客入りが頭打ちになったことを、松屋、吉野家、すき家という「牛丼御三家」が「チカラめし包囲網」を作って追い込んだからだ、と分析している。
なぜ、一番肝心なことを書かないのか。

チカラめしの牛丼は、大して美味くない。

どうもこういう、企業の業績を分析する記事には、事態の本質をごまかすことを目的に書かれているんじゃないかと疑うようなものが多い。
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by SAKICHI_I | 2013-06-15 12:11 | 雑記 | Comments(0)

どうしたんですか、東野さん

と言うことさえすでにすっかり今さらの話なのだが、東野圭吾さんの話。
書く小説が、別人であるかのように面白くなくなった。しかもごく最近だけ、というわけではない。
最新作の2冊はまだ読んでないが、それ以外は全部読んだ。その印象では、2007年出版の作品あたりからだんだんと面白くなくなってきた。
僕はおぼろげながらそれを感じていたが、ファンとしてそれをはっきり認めるのは嫌だった。認めざるをえない、と思ったのは、2011年の「マスカレード・ホテル」を読んだ時だった。たまたま凡作がいくつか続いたのではなく、東野小説は劣化したのだ、と思った。

2009年、「新参者」を本屋で売り出していた時のことを思い出す。宣伝POPに書いてあった。
「東野圭吾は終わったなんて、とんでもない。今度はこう来たか、と思わせる一冊」
僕は「新参者」のことより、東野圭吾は終わったという評価があることに驚いた。驚いたが、信じなかった。しかしそれは、今思えば間違いではなかったのだ。「新参者」を読んだ印象も、それを裏付ける。

最近の東野小説の特徴は、「良い話」であること。とにかく読者を感動させたいという意図がある。作者の本心かどうかは知らないが、どの作品にも人間というものへの究極的な信頼がある。その「良い話」の出来がよければまだいいのだが、あまり泣けない。
読者を感動させられない「良い話」がどういう印象を持たれるかといえば、偽善だ。偽善は死ぬほど嫌いだ。
さらにはそれが、果たして東野圭吾が書くべき小説なのか、ということだ。東野小説は人間の恐ろしさを描き、それが強烈な印象を与えてきた。その毒と牙が、無くなった。

この変化がどうして起きたのか、僕には分からない。人間が丸くなったのかもしれない。あるいは、国民的作家として慕われたいのかもしれない。だとしたら、そのもくろみも失敗している。
今の東野さんは、膨大な数の読者を震撼させ、熱狂させたあの姿をしていない。なまくらになった牙を研ぎ、もう一度あの凶暴な姿になって現れることを、心から願う。
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by SAKICHI_I | 2013-04-25 12:27 | 雑記 | Comments(0)

大河ドラマ「平清盛」の感想

10月の終わりぐらいにチラッと見て、「あれ、ちょっとマシになったか」と思った。それ以来、最後まで多分全回見た。

最終回、遺言のシーンは名場面だった。
時忠への「時忠なくして平家はなかった」は、一時時忠と対立しただけに涙がにじんだし、時子への「そちこそがわしの紫の上ぞ」は何とも言えなかった。

全体的に言えば、大河ドラマの最低視聴率を記録するにふさわしい、つまらんドラマであった。
何と言っても前半の、清盛のキャラへの共感できなさが致命的。「面白うもない世を面白う」という漠然としたスローガンを掲げる男が、周囲の人間に対して常に粗暴で不快。
しかし清盛が爺さんになり、自分の思い描いた世を作れなかった悲哀を表すようになってからは、悪くなかったと思う。松山ケンイチもその悲哀をよく表現した。マツケンの力不足は間違いなくこのドラマの失敗の大きな要因だが、清盛の晩年部分でいくぶんかはマイナス分を取り返したと思う。
スタッフも役者も最低視聴率に腐らず、画面にもその演技にもなげやりさが見られなかったことには、まあ仕事だから当たり前かもしれないが拍手を送りたい。

12月にあるメディアが「清盛」失敗の分析をしていて、そこでは「今視聴者の求めているものと合致しない」「幕末・戦国と違ってなじみがない」という意味のことを言っていた。そういう、誰にも責任がないような言い方はやめた方がいい。マツケンと脚本が悪いのである。
同じ脚本でも、源義朝の玉木宏や、頼朝の岡田なんとか君は輝いた。女優陣は、とんでもない大根が主要な役に何人もいて、これも足を引っ張った。壇れい、松雪泰子、りょうは良かった。
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by sakichi_i | 2012-12-25 01:48 | 雑記 | Comments(0)

濡れ衣

先日の夕方帰宅すると、郵便受けに宅急便の不在連絡票があった。「荷物を届けに来ましたが、あなたはいませんでいた」というやつだ。時間を確認すると、まだ今日中の配達を頼める。連絡票に書いてあるドライバーの携帯番号に、電話をしてみた。

「はい」
40〜50代ぐらいのおばさんの声だ。
「えーと、さっき来てもらった時に不在だった者ですが」
「うちは運送会社じゃありません!何なんですかあなた!何回も何回も!いいかげんにして下さい!ですからうちは運送会社じゃありません!やめて下さい!」

切れた。
一瞬ぼう然とした後、腹が立ってきた。
確かに間違い電話をしたのはこっちが悪いが、僕がこの電話番号にかけようとしたのはその時が初めてなのである。おばさんの携帯は多分番号がほとんど同じで、しょっちゅう間違い電話をされてるのだろうが、他の人の間違いまで僕のせいにされてはかなわん。

しかしさらにしばらくすると、おばさんが気の毒になってきた。あの人としては、誰からかかってきたかいちいち確認はしないだろう。せいぜい男の声か、女の声かぐらいしか覚えてないに違いない。従って男の声なら全部同じ人間だと思うのは、無理もないかもしれない。
とにかく確かなのは、おばさんの携帯にはひっきりなしに間違い電話がかかっていることだ。
僕が思うに、同じ人間がそう何回も間違える可能性は低い。次から気をつけるからだ。違う人間がやっているということは、当然ながら間違う人間が大量にいるということだ。
どういう風に番号が似ているかはもう分からないが、おそらく1と2みたいに横に並んだ一つだけ違う、みたいなのだと思う。
なのでおばさんかドライバーのどちらかが番号を替えない限り、間違い電話は永遠に発生すると思われる。

ここで僕が思ったのは、業者は業者専用の携帯番号を持てないかということだ。例えば080ではなく300にするとか、すぐ見分けのつくようにする。
間違い電話自体は完全に無くすのは難しい。しかし、それが業者ではなく一般人の携帯にかかるのは気の毒だ。
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by SAKICHI_I | 2012-10-04 17:43 | 雑記 | Comments(2)