震災の後、被災した方々がテレビに映るたびに思った。「この人達にかけるような適切な言葉は、日本語にはないのではないか」と。
よく使われるのは「頑張れ」だ。しかし頑張ってない人間に対して言うのならいい。被災者のように、毎日死にものぐるいになっていた方々に、何をこれ以上頑張れというのか。こういう時の「頑張れ」は、むしろ不快だ。これは、僕自身が言われた時の経験からもそう思う。 一つの答として、「あわてなくてもいいよ」――があるのかもしれない、と、先日カラオケで「to U」を歌いながら思った。 to U 作詞:桜井和寿 作曲:小林武史 瓦礫の街のきれいな花 健気に咲くその一輪を 「枯らす事なく育てていける」と誰が言い切れる? それでもこの小さな祈りを 空に向けて放ってみようよ 風船のように 色とりどりの祈り また争いが 自然の猛威が 安らげる場所を奪って 眠れずにいるあなたに 言葉などただ虚しく 沈んだ希望が 崩れた夢が いつの日か過去に変わったら 今を好きに もっと好きになれるから あわてなくてもいいよ (抜粋) 2006年に発表されたこの曲は、当然東日本大震災のことを歌ったものではない。しかし今では、この歌詞を見て震災のことを思わずにはいられない。東北が瓦礫の街になり、被災者にとってかけられる言葉のどれもが虚しく、眠れずにいることを思うと、歌っていて涙が出そうになって仕方がなかった。 「あわてなくてもいい」、そして、この歌の他の部分に出てくる「頑張らなくてもいい」は、少なくとも「頑張れ」よりは言葉として力がある。僕は、そう思う。 もともとはBank Bandでミスチルの桜井氏とsalyuがデュエットをしたのがオリジナルだが、後にsalyuがソロで歌った。 東京都内の銭湯のことをネットで調べていて、気になることが書いてあるページを発見した。2ちゃんねるのスレッドらしい。内容からして、どうやらホモセクシャル(ゲイ)の方たちの集うスレのようである。
(抜粋) スレタイ 「銭湯でノンケのケツ穴見えちゃった♪」 4 :禁断の名無しさん:2001/05/30(水) 21:38 オレもよく銭湯行くけど ほんとノンケは無防備 足拭くときとか平気でケツ穴・キンタマ見せながら 拭いてるもんな・・・ もう、よだれもんだな・・・ オレもやってるけどな 藁 8 :禁断の名無しさん:2001/05/31(木) 00:33 でもかっこいい人やかわいい子のもたまに見える。 暗くなってはっきりとじゃないけど。 11 :禁断の名無しさん:2001/05/31(木) 01:13 銭湯でストレッチやってるオヤジがいた。 ティン歩も黄門様も丸見え・・・、オヤジだから見たくはないが 条件反射で見ちゃうホモの性が悲しいわ。 13 :禁断の名無しさん:2001/05/31(木) 01:19 俺は健康ランドでストレッチやってる若者みたことあるぞ。 すげー萌えた。(20代でプロレス系マッチョ体系身長180以上) 全裸体重計と身長計には萌えた(身長計では全裸で正面丸見え) 15 :禁断の名無しさん:2001/05/31(木) 01:42 でか尻は激萌え! 16 :禁断の名無しさん:2001/05/31(木) 01:52 特に田舎の銭湯は開放的でいいよね。 見放題だもの。藁 22 :禁断の名無しさん:2001/05/31(木) 02:56 俺もサウナのなかで体操してる体育会系大学生みたことある。 すごい大胆で驚いた。もちろん俺は勃起しっぱなし。すぐにトイレ行って 抜いてきた。 以下、さすがに耐えきれず、ページを読むこととコピペ作業を中止。 そうだろうとは薄々思っていたが、ゲイの方々は銭湯に、完全に異性としての目線を持って入ってきている。 気持ちわりい。 激しく、気持ちわりい。 頭の痛いことに、このスレにはうちの近所にあるスーパー銭湯の名も出てくる。 向こうにとっても俺の体など見たくないかもしれない(笑)が、それは関係ない。要するにこれは、おっさんが女装して女風呂に入っているのと何の変わりもない。「異性」としての存在が素っ裸の場にいること自体が困るのである。 正直、どういう解決方法があるのか分からない。ゲイ専用の銭湯を作る。しかし普通の銭湯に来るゲイを、どうやって見分けるか。差別問題として、物議をかもす可能性も高い。 ここで、ゲイの方たちに悪気があるのではなく、やむを得ない身体的事情が……などと偽善的な擁護をしても仕方あるまい。僕はゲイではないのだから、嫌いなのである。ゲイは。 いずれにしても間違いなく、この社会の持つ問題の一つだと思う。日々、おそらく日本中のいたるところで合法的なのぞきが行われているのである。 以下のメールを、広島県知事室と「おしい!広島県」キャンペーン委員会に送付した。
前略、東京に住む広島県出身のものです。 最近広島県が、「おしい!広島県」と銘打ったキャンペーンを始めたことを、ニュースで知りました。CMのいくつかも見ました。 その主張内容について、極めて遺憾に思います。広島県人として、非常に恥ずかしい。即刻、同キャンペーンを中止してもらいたい。 個々の宣伝内容ではなく、「おしい!広島県」というキャンペーンの趣旨自体に疑問があります。 まず、果たして本当に広島は「惜しい」のか、という問題。 広島風お好み焼きの店は、東京中のいたる所にあります。キャンペーンサイトには「三陸カキの方が有名」と書いてありますが、実際に定食屋やスーパーでは広島産カキであることをアピールすることの方がはるかに多いです。 安芸の宮島は、観光名所として日本中のほとんどの人が知っています。世界最初の被爆地としてのヒロシマは、世界中の多くの人がその名を知っています。もちろん被爆自体はあってはならない惨劇でしたが、現実問題としてそのことにより広島のことは世界で知られております。 関東の球場でカープが試合をおこなう時は、カープファンが大挙して球場に押し寄せます。東京ドームは例外ですが、これはチケット入手が難しいことと、ビジター応援席が狭い範囲に区切られているという事情が影響しています。神宮ではたいていの場合、ヤクルトファンよりカープファンの方が数が多いです。 キャンペーンサイトにはまた、「レモンの生産量は日本一なのに、全国的には知られていない」と書いてあります。しかし、個々の農産物の生産高が1位の県はどこか、知られてないのが普通なんです。トマトの生産高1位がどの県か、キュウリの生産高1位がどの県か、知りません。リンゴは青森ではないか、ブドウは山梨ではないか、といったことをイメージに持っているに過ぎないし、それらの事さえ事実かどうか知りません。レモンの生産量は日本一である時点で、全然惜しくないんです。 テレビやラジオでも、広島県人の存在感は小さい方ではありません。広島出身であること、カープファンであることを隠そうとしないタレントの方々が多くいます。ほんの数年前、Perfumeの広島弁がバラエティ番組を席巻したばかりではありませんか。 僕はここで、他県を悪く言うことが本意ではありません。しかし名所のひとつ、名産のひとつも思い浮かばない県はいくらでもあります。 現状に満足しない、今よりもっと広島の産業を活性化させたい、広島への注目を集めて観光客を呼び寄せたい、という気持ちは分かります。 しかしそのために、なぜ自虐し、卑下する必要があるか。他県から求められてもいないハードルを勝手に設け、そこから逆算して「惜しい」「足りない」というネガティブな表現をする必要がどこにあるのか。 自県をアピールしたいなら、その誇るべき点を訴えればよいだけです。 広島を「惜しい」と言うことは、広島の惜しくない面、誇るべき点をもマイナス評価に引き下げる行為です。広島県民、広島県人全体をも「惜しい」レベルに引き下げることなんですよ。 僕は広島で生まれ育ち、広島県を「惜しい」県にしてきた覚えはないし、今でもそうではないと思う。 ちなみにこの事は、広島が僕の郷土だから思うだけではない。以前北陸のどこかの県、また佐賀県のアピールCMでも、自県が知られてないことを自虐的に笑うということをやっていました。僕はそれを見て、知られてないのはそれなりの物しかないからじゃないの、と思ったし、なんと卑屈な県民性かと思った。僕の中では、まったく好感度は上がらなかった。 以上の理由で、「おしい!広島県」キャンペーンの即刻中止、あるいは内容の全面的変更を求めます。 このメールに対する回答は不要です。広島県外の一広島出身者によって、県庁の決めたことが変わるとは思いませんし、もし変わらなかったとしても、今のところこれ以上のアクションを起こす気はありません。また、県からの僕に対する説明を聞いても仕方がありません。 願わくば、問い合わせ担当者さんのところでこのメールを止めず、キャンペーン発案者、責任者、できれば知事までお読みいただければ幸いです。 に乗ることに、サーファーが成功したという映像である。
場所はポルトガルらしい。27メートルの高さがあるのかどうか、比べるものが豆粒のようにみえる当のサーファーだけなのでよくわからない。だが間違いないのは、とにかくとてっつもなくデカい波だということである。 こういうものを見ると、「すごい」と感じるよりまず恐怖が先に立つ。東日本大震災で東北を破壊し尽くした津波の映像が、まだまだ記憶に生々しいからだ。 僕がこの映像を見て思ったのは、当たり前のことかもしれないが、「波と津波はまったく違う」ということである。 ここまで大きい波はこのナザレという町でもあまりないらしいが、かといって10年に一度とか50年に一度しかないほど珍しいわけではない。このサーファーたちは大きい波を求め、アメリカからわざわざこの地に移住しているのである。つまり程度の差はあれ、こういう巨大な波は常にこの海岸にある。 しかしこの町の沿岸が波に破壊され、死者や怪我人が出たというニュースをまったく目にしない。 「波」というのは基本、その地点の水位が高くなったり低くなったりするだけの現象だ。沖に浮かぶブイは何回波に洗われても、位置を変えない。縄跳びの端を持って上下に動かすようなもの。縄は波打つが、移動しない。 「津波」はそうではなく、水という質量の移動である。 震災の映像で何回も見た。大きな津波も、小さな津波も被害をもたらした。ポルトガルの波よりもはるかに小さい、時には地をはうようにさえ見える海水が、家々をなぎはらっていった。 27メートルの大波の映像を見て、津波の恐怖を再認識した。
………… _| ̄|○ ガックリ
ロックというものをあれだけ美しい形で表現するバンドを、他にほとんど聞いたことがない。輝くような美しさというよりは、近くで見れば枯れ葉に過ぎない秋の紅葉のような、哀愁に満ちた美しさであった。 残した名曲の数々に感謝。 昨日、うちに帰ると日テレで「鳥人間コンテスト」をやっていた。東北大学のチームが飛ぶ直前だった。
東北大は、仙台にある。当然ながら震災で大きな被害を受けた。コンテスト参加チームも、活動を阻害された。それでも彼らは、今年も優秀な機体を作り、この大会に優勝候補としての実力を備えて参加してきた(という内容のことを、放送していた)。 ほとんど全ての日本人にとって、彼らの健闘を祈らない理由はない。 実際飛んでみると、飛行以外に非常に印象的なものがあった。飛行中のパイロットの言動である。 「聞こえる?桂。GPSの信号がない」 「何も聞こえない。無線が」 「くそっ。対岸は見える。だがこれはダメなんだろ」 「GPSが切れたら俺は運転もできないのかよ」 「もう半分くらいの体力を使ってる。帰ってこれるのかこれで」 「悪いねへぼパイロットで」 「エンジンだけは一流のところを見せてやるぜ」 「くそっ!フルパワーだぜ!信じらんねえ」 「俺の人生は、晴れ時々大荒れ。いいね!いい人生だよ」 「風を、風を拾うんだ」 「押されてる。分かってる。分かってるけど、ウワアアアア」 「左足がつってる」 「片足だけで回すのは……右足も限界に近い」 「ウギャアアアア脚があああ動けええええ」 「東北大学だろ!ウインドノーツ(チーム名)だろ!」 TUBE 最初の方で「無線が聞こえない」と言っているように、これは無線の相手との対話ではない。人との対話であれば、「俺の人生は、晴れ時々大荒れ」というような、「知るか」と言われるようなことは言わないと思う。 これを本当に一人でやっているのであれば、「普通心の中で思うだけのことを口に出してしまう変な人」であるが、そうではない。機中にカメラがついている。だから当然、彼のこれらの言葉は視聴者に対して発せられたものだ。 自分で自分を演出し、視聴者の前にヒーローとして映ろうとしているのである。 東北大学チームの健闘を祈らない理由はない、と思ったのだが、ここにあった。パイロットのこの、すさまじいまでの自己顕示欲(笑)。 これに興ざめし、素直に応援する気がなくなった人は少なからずいるような気がする。 湊さんの作品を読むのは「告白」についで2作目。もしこの2作に共通するものが作風だとすれば、それがだいたい分かったような気がする。
読者の野次馬根性を喚起して小説に引きつけることが、非常に上手い。 各家庭・人間関係の暗部を、醜さをこれでもかと見せつける。こういう人間とこういう人間の関係は確かにこうなるだろうな、と思わせる絶妙の現実味。それがこちらの、小説にでもならなければ決して他人には分かることのないものをのぞき見ているような、ワイドショー的好奇心を引っ張り出す。登場人物は一様に人間的欠陥があり、利己的。その事も、「こいつよりは俺はマシだろう」という優越感を起こさせる。 特に遠藤家の彩花の描写が秀逸。このいかれた娘が切れた母親に首を絞められた時は、黒い爽快感さえ感じてしまった。 遠藤家の隣家のおせっかいなおばさん、ええと小島さんだったか、の腹黒い言動に顔をしかめながら、読んでいるいるこっちもおばさんと同じ興味で読んでしまっているという矛盾。苦笑させられるが、本当に上手い小説だと思う。 以下、不満。やはりあの結末には満足できない。この小説が単に読んでて面白いだけでなく、すごい小説と言われるためには、あれではいけないと思う。 彩花が口にした「坂道を転げ落ちる」(だったか)という言葉にみな目から鱗が落ちたような印象を受け、何となく解決を与えられたような雰囲気になってしまう。この言葉、大層なことを意味しているわけではない。単に、「不満が蓄積して切れる」を別の表現にしただけだ。こういう少々詩的な表現をしただけのことで、そのことを正当化し免罪してもらったような気になってもらっては困る。しかもそれを言うのが、3日に1回ほど「坂道を転げ落ち」ている彩花だ。お前が何でしたり顔で分析してんのか、という話である。 最後の小島家での会合以来、主要登場人物達は良心に目覚めたようになり、おこないを改める。これまで発生してきた問題の根本的な解決方法を与えられたわけでも何でもないのに、である。 我々読者が——と言って悪ければ、僕が——彩花に対して延々とためこんだストレスは解消されることなく、うやむやのうちに話は終わる。母親が首を絞めたことは、確かにある程度のストレス解消になった。しかし彩花のふてくされた態度は直らず、それどころか「おまえらみな坂道病だ」と他人に説教をする存在になってしまう。遠藤家母親の無力、父親の臆病、小島のおばさんの腹黒さ——それらのもの全てに対するストレスは行き場を失う。 こういう終わり方をするぐらいなら、希望のない結末であった方がよかったと思う。例えば、母親が彩花を殺して終わる。そうすれば、高級住宅街の住人が抱える空虚なプライドをもっと浮き彫りにできただろう。残酷話にはなっただろうが、そう思う。 しばらく前に腰を痛め、接骨院というものに行ってみた。3軒ほど行ってみた。
どうもおかしい。この接骨院(整骨院)という業界は。 とにかく異様に愛想が良い。 院に入った瞬間「こんにちわ!」と従業員全員が大声で迎える。奥のベッドで施術中の人さえも大声を出す。帰る時は「お大事に!」とまたいっせいに声を出す。店を挙げての送り迎えである。その他の受け答えも、全て愛想が良い。そして元気がいい。 つまり病院と逆だ。病院では患者は金を払う方=つまり客でありながら、基本的に低姿勢。医者や看護婦は、まあ別に「治してやる」というような傲慢な意識を持った人が多いとは思わないが、それにしても患者に対してへりくだるようなことはない。 その愛想の良さは、施術中も続く。とにかく、ずっと話しかけてくる。そのうち気がついた。これは治療のためではなく、客(患者)と人間関係を作るために話しかけているのだと。なぜそう思ったかというと、話が治療のことではなく脇にそれても、話がはずみさえすれば喜んでその話を続けるからである。医者と患者の会話という雰囲気ではない。 ベッド同士は薄いカーテンで仕切られているだけなので、他の施術中の人々の話はよく聞こえてくる。極めて和やかな雑談ばかり聞こえてきたような気がする。ある日僕の横で施術していた二人は、90年代アイドルについての話がものすごく盛り上がっていた。 この事だけで、すでに不信感を持った。治療する所(病院ではないし、何と呼んでいいか分からん)がなぜ、本来の職務、つまり関節痛などを治す能力以外の部分で患者を引きつけようとする必要があるのか。それは、つまり治療する能力が低いことの証ではないのか。 こっちは痛いから来ているわけで、それさえ治してくれればいくら愛想良くされても別にもう来たくない。患者と人間関係を作り、リピーターにしようとすること自体がおかしい。何回も来てくれということは、早く治すということと完全に正反対ではないか。 おかしいと思うことはもう一つある。こういう所を一番必要としているはずの、爺ちゃんと婆ちゃんがいない。 これらの事を考え合わせ、以下のような推測をするに至った。 接骨院というのは患者の疾病を完全に治そうとはせず、むしろ引き延ばしながら、患者がずるずると何回も来院することを目的にしているのではないか……と。 そしてそのメインターゲットになっているのは、中年女性である。 施術師(柔道整復師という)は9割方男。20代〜30代前半の男性が多いようだ。そしてどうも医者らしからぬ、といっても医者ではないが、そういう感じのチャラい人がちらほらいる。一度、茶髪でロン毛の男性整復師に当たった。 上で書いたように院内の会話は、ほとんど筒抜けで聞こえてくる。中年女性の組だけ、会話の雰囲気が違う。何というか、女性の声に常に「ウフ……♥」という感じの喜びが混じるのである。 接骨院のマッサージは微妙な所を触るわけではないが、お尻や脚はしょっちゅう触る。それを嫌がる女性がいてもおかしくない程度に触る。従って、2回以上行っている女性は間違いなく、それを承知で行っているのである。 皆が皆そうだとは言わないが、若い男に触られたり話したりすることを主目的に、あるいは主目的ではなくてもそれを楽しみに接骨院に行く女性は間違いなくいる、と思う。 下の会話は、ネットで検索して出てきた知らない方のブログより。無断引用すいません。 そこで治療を受けていた私の隣のベッドから何やらおかしな会話が聞こえて来ました。 先生「僕、来週の木曜日、誕生日なんですよ。だから来て下さいね!」 患者「プレゼントは何がいいの?」 先生「会いに来てくれれば、それでいいですよ!」 患者「え~!本当にそれだけでいいのぉ~ん(甘い声)」 ホストクラブの会話である。施術師の誕生日が、なんで客に関係あるんじゃという話。 それから、整骨院のホームページでこのようなものがあった。 ![]() 完全に、「僕らイケメンが奥様をお待ちしています」という構図。ここはさすがに、行く気が起きなかった。入った瞬間、「なぜ来たんだ」というような空気になってはたまったものではない。 さて、接骨院にこういう「プチホストクラブ」の実態があるとしても、それだけで声高に非難するのは難しい。男性向けにはもっと前から、そういう店がある。それから、体を触っていると言ってもさすがに性的サービスをしているわけではないから、違法でもない。 困るのはそれに、保険が適用されることである。つまり平日の午後、時間の空いた奥様がそんなに腰が痛くもないのにマッサージで気持ちよくなることに、血税が使われている。 実はそれは、国が禁止している。 整骨院や接骨院で骨折、脱臼、打撲及び捻挫(いわゆる肉ばなれを含む。)の施術を受けた場合に保険の対象になります。 単なる肩こり、腰痛などに対する施術は保険の対象になりません。このような症状で施術を受けた場合は、全額自己負担になります。(厚労省のホームページより) 明確な疾病がなければ、保険を適用してはいけないのである。ところが現実には、「なんとなく腰が痛い」という患者に対するマッサージにも全て保険が適用されている。なぜそう言えるかというと、僕自身がそうだったからだ。すべての通院時にそういう状況で、そして常に保険の適用を受けた。初診で1000円を超えたのみで、あとは数百円の請求しかされなかった。 ただでさえ、とんでもない巨額となっている医療費。ここに「ただのマッサージ」が加わり、さらに問題は深刻化する。 接骨院は、気をつけて歩いてみると驚くほど多い。一刻も早く、社会問題化した方がいいと思う。 ちなみに似たような名前の「整体」は、保険がきかない。間違えて行くと、数千円をとられることになる。
朝のニュースを見て仰天。宮城県庁にヤクザが乗り込み、多くの職員やカメラが注視するなかで知事を脅していた……!
と思ったら、松本とかいう現役の大臣だという。絶句。 【J-CASTニュース 7月4日(月)20時2分配信】 松本氏は、2011年7月3日に就任後初めて岩手・宮城両県を訪れた。 東北放送のニュース番組によると、宮城県庁を訪れた松本氏は、村井嘉浩知事が自分を応接室で待たせたことに腹を立てた。数分後に村井知事が笑顔で現れて握手を求めると、松本氏は、「終わってから」と言って拒否。村井知事が水産特区を要望すると、県がコンセンサスを得ないと国は何もしないと突っぱね(補足。松本氏の発言は「県でそれコンセンサスを得ろよ。そうしないと我々は何もしないぞ。ちゃんとやれ」)、応接室で待たせたことをこう非難したのだ。 「お客さんが来るときは、自分が入ってからお客さんを呼べ。いいか、長幼の序が分かっている自衛隊なら、そんなことやるぞ!」(最後の「そんなことやるぞ」は意味不明だが、多分「そうはいかんぞ」というような意味だろう) 村井知事が自衛隊出身なのを指して言ったらしい。松本氏が身を乗り出して同意を迫ると、村井知事は、年下であることを意識したのか、「はい」と答えた。しかし、顔は引きつり、苦笑いを浮かべていた。 さらに、松本氏は、最後の言葉をオフレコとして、報道陣を見渡しながら、「書いたら、もうその社は終わりだから」と威嚇した。東北放送は、この場面さえ流しており、脅しには安易に屈しなかったわけだ。 その後、次々に他のマスコミが報道し始め、松本氏は、岩手県庁訪問でもきわどい発言をしていたことが分かった。 達増拓也知事が仮設住宅を要望したのに対し、「本当は仮設はあなた方の仕事だ」と指摘。さらに、「知恵を出したところは助けるが、知恵を出さないヤツは助けない」「九州の人間だから、東北の何市がどこの県とか分からない」と放言を繰り返した。 人間として間違っている点が多すぎて発狂しそうだ。マジに殴りてえコイツ。 この暴言は、東北放送がニュースで流して初めておおやけになったらしい。ということは他の放送局は、松本の恫喝に屈したのか? 松本がやろうとしたのは報道規制。憲法違反じゃないか。全メディアが真っ先に取り上げ、糾弾すべきだろうが。 それと総理大臣。こんな奴、辞職させてどうするよ。絶っっっ対更迭。クビにするしかない。 この国の政府、メディアともこのレベルなのかよしかし……。 久々に、暗澹とした気分になった。
売れた本をいくつか読んでみた。
読もうとして、本が売れない時代だということをあらためて実感した。何がベストセラーなのかということ自体が、分からない。最も知られているはずのものを調べなければならないという、滑稽な状況である。 この数ヶ月を例にとっても、熱心な読書家とは言えない人間(僕を含めて)が知っているベストセラーは多分、「もしドラ」だけだろう。 ●冲方丁 『天地明察』 史実考証が綿密で、文章は奇をてらわず丁寧で、好感の持てる小説である。好感は持つが、面白いか面白くないかで言うと、あまり面白くない。それと長い。 暦、数学、碁。とにかく題材が地味。その足かせをつけたまま話を盛り上げようと最大限の努力をしたけども、大成功はしなかった……という感じ。 ただまあ、こういう本もあっていい。すべての小説で、人が死んだり世界が滅んだりする必要はない。僕の好みではない、というだけだ。「天地明察」が売れるということは、世の中は僕が思うほどには殺伐としていないということか。 ●夏川草介 『神様のカルテ』 全編ヒューマニズムにあふれた、いわゆる「臭い」作品なのだが、その臭さをあまり感じさせない。不思議な魅力をもった好編。しょっちゅう現れる冗談に「どうだおもしろいだろう」というドヤ顔感があり、それがちょっと鼻につく。 ●湊かなえ 『告白』 久々に、単におもしろいのではなく「すごい」と思う小説に出会った。個人的には、東野圭吾のいくつかの小説以来である。 女性教師の娘の「事故死」。それが事故死ではなく、生徒による殺人であることを暴く「告白」。教師の告白に端を発し、次々と行われる主要人物の告白は、一方は過去へと向い、それぞれの家庭のゆがみと、そこで培われた悪意をあらわにする。そしてもう一方は現在進行していることを描き、登場人物たちはそこで悪意をさらに増幅させ、より凶悪な犯罪へとらせん状に向かっていく……。 壮絶だ。 ●和田竜 『のぼうの城』 何かの能力が突出した特異なキャラとか、大げさなセリフ、少々無理な展開。この作者は漫画家か、漫画原作者になりたかったのではないか。それらの漫画的な表現は、画力によって強引に納得させられなければ、要するに漫画でなければ、やはり違和感がある。 あるいは見方を変えれば、荒唐無稽な娯楽小説にしたいのか、史実を重視したスリリングな歴史小説にしたいのか、迷っているようにも見える。 いずれにしても今のままでは、一言で言って嘘くさい。 (追記)いま知った。映画の脚本が土台だそうだ。納得。小説らしからぬ小説であることが、すべて腑に落ちた。 < 前のページ次のページ >
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